演繹法と帰納法とアブダクション(仮説的推論)
こんばんは。
「質的研究を科学する」という本を読んでたら、最後の章にアブダクション(直観的推論?仮説的推論?)について説明がありました。今まで演繹法と帰納法しか知らなかったので、ちょっと驚きでした。本の中では、アブダクション(abduction)について質的研究の分析の最終段階で起こり得ることを例にあげて説明しています。
質的研究では、分析で対象者が語ったことを何度も何度も読み返し、聴き返して、自分が体験していないことについての理解を深めるのですが、分析の最終段階で、
①テクストを何度も読み返し一所懸命考えるのだが、なかなかコアになる概念が探せない。
②スーパーバイザーや質的研究者に何度も相談するが、いい考えが思いつかない。
③論文提出などの締め切りが間近に迫っているのだが、それでもだめである。
④ほぼ絶望状態で諦めかけてはいるが、眠っていてさえ考えてしまう。
⑤疲れ切ってふっと眠りに落ちて目覚めると、頭の中でそれまでのもやもやが吹き飛び、黎明のようにすべてを説明できるようなコアとなる概念が到来する(高木, 2010)。
このように、閃きのようなことが起きることとして説明していて、質的研究で他人が語った体験の理解を深めて、その現象の構造を説明しようとした時に、演繹法や帰納法では説明できないことを第三の推論(アブダクション)を使って説明することとして読み取れました。
このアブダクションは、昔から指摘されていて、アリストテレスの時代から言われているとのことです。自分は分析の最終段階では体験しませんでしたが、説明しようとしても説明が難しいことや、現象が何故起きるか理由を考えて考えつくした時に、無理だと思っていたところ、閃きのように考えが降りてきたことがあり、アブダクションだったのかなあ、どうだったのかなと思いました。もう少し早く推論には演繹と帰納だけではないことを知っていたらと思いました。
自分の思考がどの推論から来たのか今後わかるように、帰納法、演繹法、アブダクションの一例を示しておきたいと思います。
帰納法:「運動後のAくんはくさい」「運動後のBくんはくさい」「運動後のCくんはくさい」→A・B・Cさんは全て運動後の男子である。→運動後の男子はくさい
演繹法:「運動後の男子はくさい」→「Dくんは運動後の男子である」→「運動後のDさんはくさい(だろう)」
アブダクション:「Dさんがくさい」→「何故Dさんはくさいのだろう?風呂に入っていないのか?歯を磨いていないのか?朝会った時はくさくなかったのに…。もしかしたら運動後でくさいのかもしれない」
間違えてたらすいません笑。指摘下さい。
引用文献☟
レントゲンのX-Pって何の略?
こんばんは。
今ユーチューブで、ある循環器医師のレントゲン講義を見てます。
そしたらChest X-Pの略がなんなのか説明があり今さら驚きでした。
X-P=X-ray Photographとのことです。
知らなかったな~。なんのPかは知らなかったです。すごい身近にある言葉だったのに。
よく看護師に成りたての2年目の頃に、心臓外科の医師から
「○○○とかって略語で言ってるけど、何かちゃんと知ってて言ってるの?」って聞かれて、よく調べていたものです。
面白そうな講義なのでまた何か新たな発見があったら書き込もうと思います。
1億総マスク社会
こんばんは。
コロナの感染者が増えて、go toは影響ないとかあるとか、日本は自殺者が海外に比べてものすごく多いとか、大変な状況になってきました。
そして医療機関もひっ迫してきており、最近では医療機関のクラスターが頻発するようになってきました。
公表されていない病院もあるようですが、陽性者が出た病院をみると、今まで発熱患者を完全に断っていた病院でもクラスターになっていたり、感染対策をそれなりにしていたと思われる病院でもクラスターとなっているのがわかります。
ツイッターの情報を見ていても、無症状で病院内に入り込み、入院後に症状が出てクラスターとなっていることが増えているようで、要するに、発熱や症状の有無だけでは医療機関のクラスターは防ぎきれないということだと思われます。
そうなってくると、病院内に入り込んでもいかに感染者や重症者を増やさずにクラスターを防ぐかといったことが目標になってくると考えられます。
そうなると、入院患者は全員マスクをして人と距離を保つことが必要となるのでしょう。
1億総活躍社会という言葉がありましたが、いよいよ1億総マスク社会となってきそうです。